


「阪神タイガースの背番号『00』といえば、誰を思い浮かべますか?」
最近ファンになった若い世代なら、現在の現役選手をパッと思い浮かべるかもしれません。でも、80年代から90年代のあのヒリヒリした「暗黒時代」に青春を捧げて応援してきた私のようなオールドファンなら、ユニフォームを真っ黒にしてヘッドスライディングを決める「あの選手」の姿が、鮮烈に目に浮かぶのではないでしょうか。
実は、日本のプロ野球界で初めて「背番号00」を採用したのは、我らが阪神タイガースだってご存知でしたか?(しかも、記念すべき初代00番の助っ人が、まさかあんな結末を迎えるとは…笑)
この記事では、2026年現在「00」を背負う期待の若手選手から、歴代の愛すべき「泥臭いガッツマン」たちの系譜までを、一目でわかる特製のデータ表とともに一気に振り返ります。
「あー、この選手いたな!」「代走で出てくるとワクワクした!」と懐かしみながら、タイガースが誇る「00番の魂」を一緒に紐解いていきましょう!
| 着用期間 | 選手名 | ポジション | 主な特徴・球団史におけるエピソード |
|---|---|---|---|
| 1988年 | ルパート・ジョーンズ | 外野手 | 日本プロ野球界初の「00番」。メジャーの実績をひっさげて来日するも、肩の故障の影響でわずか1年(52試合)で退団。 |
| 1992〜97年 | 亀山 努 | 外野手 | 「00番=泥臭いガッツマン」のイメージを定着させた功労者。気迫のヘッドスライディングと、新庄剛志との「亀新フィーバー」で暗黒時代の甲子園を熱狂させた。 |
| 2002〜09年 | 秀太(田中 秀太) | 内野手 | 星野・岡田両政権を支えた内野のユーティリティプレイヤー兼ムードメーカー。勝負どころの守備固めや代走で、いぶし銀の活躍を見せた。 |
| 2010〜16年 | 柴田 講平 | 外野手 | 俊足強肩の外野手。「亀山選手のようになってほしい」という球団からの期待を背負い、ダイナミックなダイビングキャッチなどでファンを沸かせた。 |
| 2017〜20年 | 上本 博紀 | 内野手 | 選手会長も務めた小さな巨人。背番号を「4」から「00」へ変更した後も、小柄な体から放つパンチ力のある打撃と闘志あふれるプレーでチームを牽引。 |
| 2021〜23年 | 山本 泰寛 | 内野手 | 巨人から移籍。「打倒・巨人」を掲げ、堅実な守備とシュアな打撃を武器に内野のスーパーサブとして2023年のリーグ優勝にも貢献した。 |
| 2024〜25年 | ハビー・ゲラ | 投手 | 阪神の投手としては史上初となる「00番」を着用。最速160km/h超えの剛腕リリーバーとしてブルペンを支えた。 |
| 2026年〜 | 元山 飛優 | 内野手 | 西武からトレードで加入し、2026年シーズンから00番を継承。パンチ力のある打撃と堅実な遊撃守備で、新天地でのブレイクが期待される最新の00番。 |
「で、結局今の00番って誰?」
上の一覧表をすっ飛ばしてここまでスクロールしてきた、ちょっとせっかちな虎党のあなたにお答えしましょう。
2026年現在、阪神タイガースの背番号「00」を背負い、甲子園の土にまみれているのは、新戦力の元山飛優(もとやま ひゆう)選手です!
「あれ?元山ってヤクルトとか西武にいなかった?」とピンときた方、さすがの野球IQです。
元山選手は、ヤクルト、西武を経て、2025年のオフに戦力外通告を受けたのち、我らが阪神タイガースに「育成ではなく支配下枠」として見事拾い上げられた苦労人。
実は彼、ゴリゴリの地元・大阪府東大阪市の出身なんです。入団会見でも「小さい時から関西の野球少年は当たり前に阪神がある」「憧れは金本さん(元監督)」と語るなど、DNAレベルで虎の血が流れている熱い男。
「西武を戦力外になった選手を、なんでわざわざ獲ったんや?」と首を傾げたファンもいたかもしれませんが、これには球団フロントの明確な狙いがありました。
元山選手の最大の武器、それはズバリ「内野ならどこでもこなせる、圧倒的な守備力と鋭い送球」です。
現在の阪神の内野陣を思い浮かべてみてください。木浪選手や小幡選手らが激しいショート争いを繰り広げていますが、長いペナントレース、主力のケガや不調は絶対に避けて通れません。そんな時、「内野全ポジションを高水準でカバーできるスーパーサブ」は、首脳陣にとって喉から手が出るほど欲しい最後のピースなんです。
かつて「00番」をつけてチームを支えた、秀太選手や山本泰寛選手のいぶし銀な姿と重なりますよね。
さらに、西武時代や今春のオープン戦でも見せた「思い切りの良いパンチ力」が甲子園で覚醒すれば、単なる守備固めではなくレギュラー陣を脅かすジョーカーになり得ます。過去の偉大な「00番」たちがそうだったように、泥だらけのユニフォームでチームの窮地を救う新たなガッツマンの誕生に、全力で期待しましょう!
プロ野球中継を見ていると、今や当たり前のように見かける「背番号00」や「0」の選手たち。
でも、実はこの「00番」、日本プロ野球の歴史上で初めて採用したのは、他でもない我らが阪神タイガースなんです!ちょっとした飲み会のネタになりそうなこのウンチク。
いったい誰が一番最初につけたのか?オールドファンなら思わず苦笑いしてしまう、あの「伝説の助っ人」の歴史を紐解いてみましょう。
記念すべき日本球界初代「背番号00」を背負ったのは、1988年に鳴り物入りで来日した助っ人外国人、ルパート・ジョーンズ選手です。
メジャーリーグでオールスターゲームに2度出場し、通算147本塁打というピカピカの実績をひっさげてやってきた正真正銘の大物。当時、あのランディ・バース退団のショックに揺れていた虎党たちは、「ついに救世主が来たで!」と両手を挙げて大歓喜しました。
ジョーンズ選手がメジャー時代(パドレスやエンゼルス)に好んで着けていたのが「00」だったため、阪神球団も特例としてこれを承認。ここに日本球界初の「背番号00」が華々しく誕生したのです。
しかし……ここからが「あの頃の阪神」の様式美です(笑)。
いざシーズンが始まってフタを開けてみると、来日前に痛めていたという肩の状態がすこぶる悪く、外野からの返球は山なり。頼みの綱のバッティングも日本の投手の変化球に全くついていけず、自慢の長打力はどこへやら。
結局、わずか52試合に出場して、打率.254、8本塁打という、なんとも言えない寂しい成績を残し、たった1年でひっそりとアメリカへ帰国してしまいました。
「日本プロ野球の歴史を変えたエポックメイキングな背番号」の始まりが、見事なまでの肩透かしと、なんとも阪神らしいズッコケエピソードからスタートしているところが、逆に人間味があって愛おしくないですか?
初代のジョーンズ選手が1年で去った後、数年間「空き番」となっていた背番号00。しかし1992年、このちょっと変わった背番号を、阪神タイガースの歴史に永遠に刻み込む「伝説の男」が誕生します。
オールドファンなら、この名前を聞くだけで胸が熱くなるはずです。そう、背番号00を全国区のスターナンバーへと押し上げたレジェンド、亀山努(かめやま つとむ)選手です!
時計の針を1992年に戻しましょう。
前年までどうしようもない最下位街道を爆走していた阪神が、突如として優勝争いを演じた「奇跡の年」です。
20代の血気盛んな時期に、あの「亀新フィーバー」の狂騒曲をリアルタイムで浴びたファンにとっては、まさに青春の1ページとして強烈に脳裏に焼き付いているのではないでしょうか。
彗星のごとく現れた新庄剛志選手(当時背番号63)の華麗なプレーとともに、甲子園を熱狂の渦に巻き込んだのが亀山選手でした。ドラフト外のテスト入団から這い上がり、育成枠のような立場から一気に1軍のスタメンへ。エリート街道とは無縁の雑草魂が、当時のファンの心を鷲掴みにしたのです。
亀山選手のプレースタイルを一言で表すなら、まさに「全身全霊のガッツマン」。
平凡な内野ゴロでも一塁へ気迫のヘッドスライディング!外野へ飛んだ打球には、フェンス激突も辞さないダイビングキャッチ!試合が始まって数イニングもすれば、彼の真っ白なユニフォームはいつも泥だらけになっていました。
スタイリッシュでどこか宇宙人じみた新庄選手が「華」だとしたら、亀山選手は「泥臭さ」の象徴です。打席に入る前、バットを三塁ベンチに向けて高く掲げるルーティン。そして、背中につけられた大きな「00」の文字。
「なんやあの00番!めっちゃええ根性しとるやないか!」
連敗続きで冷え切っていたトラ党の心に、強烈な火をつけました。
彼が打席に立つだけで、あるいは代打でネクストバッターズサークルに姿を現すだけで、甲子園球場が地鳴りのように湧き上がったものです。ケガの影響もあり、プロ野球選手としての実働期間は決して長くはありませんでしたが、その「記憶に残る強烈な光」は今も色褪せません。
この亀山選手の活躍によって、阪神タイガースにおける「背番号00」は、単なる珍しい番号から「泥だらけになってチームを鼓舞する、ガッツあふれる選手が背負う番号」という、特別な意味(系譜)を持つようになったのです。
亀山努選手が「00番=泥だらけのガッツマン」という強烈なイメージを甲子園に焼き付けた後、この番号はタイガースにとって特別な意味を持つようになります。
それは、決して華やかなホームランバッターではなく、「足と守備、そしてチームのために身を粉にできる職人肌の選手」へと受け継がれる「魂の系譜」となりました。その代表的な3人の歴代00番を振り返りましょう。
亀山選手の後に00番を背負い、長きにわたって暗黒時代からの脱却期?黄金期を支えたのが、秀太(田中秀太)選手です。(※2002年から00番を着用)
星野監督や岡田監督が率いた2003年、2005年の優勝イヤー。秀太選手はレギュラーに定着しきれなかったものの、ベンチには絶対に欠かせない「スーパーサブ」でした。
試合終盤、1点差で勝っているヒリヒリする展開でのショートやサードの守備固め。絶対に失敗できない場面での送りバント。そして、相手バッテリーの嫌がる絶妙なタイミングでの代走。
派手な記録には残りませんが、彼がベンチにいるだけで首脳陣もファンも「終盤は秀太がおるから大丈夫や」と安心できたものです。暗黒時代を知る生え抜きの苦労人が、歓喜の輪の中でくしゃくしゃの笑顔を見せた時、もらい泣きしたファンは数知れません。
2010年代に入り、00番を受け継いだのが柴田講平選手です。
俊足強肩の外野手として期待され、球団からも「かつての亀山選手のように、グラウンドを縦横無尽に駆け回ってほしい」という願いを込めてこの番号が託されました。
その期待通り、彼の最大の魅力は高い身体能力を生かしたダイナミックな外野守備。甲子園の広い外野を駆け抜け、フェンス際で飛びつくダイビングキャッチは、幾度となくチームのピンチを救い、スタンドを大きく沸かせました。
打撃面での波があり、レギュラー定着とはいきませんでしたが、そのひたむきな全力プレーは間違いなく「00番の系譜」に恥じないものでした。
そして、近年で最もファンの記憶に新しく、強烈に愛された00番といえば、上本博紀選手を置いて他にいません。
元々は背番号「4」をつけていましたが、2017年から心機一転「00」に変更。身長164cmと小柄ながら、打席での構えは闘志むき出し。ベーススレスレに覆いかぶさるように立ち、内角の厳しい球にも絶対に逃げない。そして、甘く入れば小柄な体からは想像もつかないようなパンチ力で、鮮やかな先頭打者ホームランを何度もスタンドへ放り込みました。
ケガを恐れない全力プレーゆえに、骨折などの大ケガに何度も泣かされた野球人生でもありました。しかし、選手会長も務め、常にチームの先頭に立って泥にまみれるその姿は、まさに歴代00番が紡いできた「ガッツマン」の完成形。今でも甲子園のライトスタンドからは、彼のあのリズミカルな応援歌が聞こえてきそうな気がします。
いかがだったでしょうか。日本プロ野球界初の「00番」という歴史的な(そして少しズッコケた)ルパート・ジョーンズの誕生から始まり、亀山努が泥まみれになって築き上げた「ガッツマン」のイメージ。
そして秀太、柴田、上本と、決してチームの主役・4番打者という立ち位置ではなくとも、「ここぞの場面でチームを救う職人」「ファンから愛される全力プレーヤー」たちへと、その魂が脈々と受け継がれてきたことがお分かりいただけたかと思います。(※ちなみに、2024年?2025年にはハビー・ゲラ投手が「阪神の投手として初の00番」を背負い、剛腕リリーバーとして活躍するという新しい歴史も刻まれましたね!)
背番号「00」は、タイガースにとって単なる空き番ではありません。
エリート街道を歩んできたわけではない選手たちが、泥臭く、這い上がるようにして甲子園のグラウンドを駆け回る。その姿に、私たちファンは自分の人生を重ね合わせ、声を枯らして応援してしまうのです。
今シーズンからこの重みのある、そして最高にカッコいい「00」を継承した元山飛優選手。
彼のプレースタイルや野球に対する熱い姿勢は、まさに歴代の偉大な00番たちが紡いできた「魂の系譜」にピッタリと重なります。
ぜひ今シーズンの阪神戦を見るときは、ベンチやグラウンドで躍動する「背番号00」に注目してみてください。きっと、かつてのオールドファンが亀山選手や秀太選手に夢中になったように、気づけば彼の泥だらけのユニフォームに熱い声援を送っているはずですよ!
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